20日、T島アジング(別なコメント多し)

懐かしい知り合いの一人に会うことができた。

わたしは仕掛けのテストのために、釣果は相当に低く2匹。
妻は16匹で、最大が26〜27cm。
知り合いの方は10匹は釣られていたのでは、と妻談。
プランクトンを意識して用意していた仕掛けは、ここでは無理があった。
世の中、今やアジングを語るとプランクトンしか食べていない・・・など聞くことが多い。
しかし、この日のT島激流アジングでは・・・。
妻談:アジが小魚を追っているのが見えましたよ。

なるほど、ここ(激流)の状況は日によって少しは違うのだ、と認識。
この日は、結果として、アミを完全に意識したワームの釣果は思わしくなかった。
パフネークは、この日もそこそこ。ただ、アジアダーProの方が良かったという結果。
妻談:パフネークは動きが少し硬いですね。アジアダーProの方がしなやかに動きます。

わたしはロッドのテストも行っていた。
VARIVAS 63を磨いてしなやかにした。VARIVAS 610に比べてイマイチの感度なため。
結果、すごく良くなっていて、ほとんど申し分なしの感あり。
そこで妻に試釣してもらった。
すぐに、続けて数匹釣り上げた。その後、アタリが減って来た状況で、
妻は自分の610に持ち替えた。
妻:潮の流れは自分のロッドの方がより繊細に感じますね。
63にはステラを付けてあるのだが・・・
妻の感想:
このリールはベールを返すときの高級感がリッチで良いですね。
あとは、お金持ち風な滑らかさでしょうか・・・。

わたしの VARIVAS 610 には、20 LUVIASが付けてある。
妻のにはTATULA。そこで、わたしのセットをテストしてもらう。
妻(持った途端):え?、軽いですね。なぜ・・。
わたし:リールが少し軽いから。(17g程度軽い)
妻:へぇ〜・・・。軽さには満足そう。
そして、アタリもコンッと来ますね。
ただ、潮の読みは自分のロッドが良いそうだ。
という訳で、妻のリールも20 LUVIASになることに決定。
Vanquishについては一度テストしてもらってからにしよう。

高級感はシマノの方が上だが、ダイワのリールの方がロッドに対する魚のアタリ感度は良い気がする。
シマノのリールは巻き心地は滑らか(ギアが柔らかい)で高級感があり良いのだが、
その滑らかさの中に微妙な繊細な直撃的なアタリ振動が吸収される傾向にあるので、
魚の生命感あふれるアタリに直接繋がるような興奮は得られない。
シマノのリールは常に釣る側の優位性を語る・・。それはそれで自己満足出来るのだが・・。
家で触るにはダイワよりリッチな満足感。
で、釣る時(正確には巻くとき)リッチで高級な滑らかさを感じる。
ある意味で良いではないか・・。このスローモーションな余裕で釣り上げるのも。
ただ、ミクロなアタリも見逃したくはない・・。
エグジストの外観とさわり心地は何となく凄い高級感は感じないが、
ロッドに取り付けると、全体感度が上がる。ルビアスも感度が良く、150gと軽い。
ヴァンキッシュはさらに5g軽いのだが、超繊細な感度は感じない。
巻き心地はステラより軽く、巻き始めの蹴り出しも良く、
ダイワのように微妙な隙間を感じないところも良いのだが・・、やはりシマノ、
魚と釣る側とが一体にはならない。(ま、これの必要ない人には名器)
リールとしてはシマノの完成度が上ではあるのだが、人の好みは色々なので・・。
ま、わたしは、それなりに両方使う。
釣れる状況ではシマノの高級リールがよい。
が、顕微鏡的に魚を探すときのテスターのリールにはならない。

アタリを感じてフックするまでは、ダイワで、釣ってからはシマノに巻かせたい。

シマノ=高級セダン。(ベンツ、Lマーク)。それ以上(例ロールスロイス)とは思わない。
ダイワ=ちょっとしたスポーツカー。まだ、超高級スポーツカーとは思わない。
残念ながら、どちらのタイプの高級車も持ってはいない・・・。
ただ、超高級スポーツカーの方は持ってはいないが、40億円のフェラーリに座ったことはある。
なぜ、40億円か、それは、ビンテージだから。しかも、250 GTO。
世界に10台未満しか存在していない。が、日本に2台在った。
わたしは写真を撮る側だった。
周りには誰も居ない広々とした御殿場のフェラーリ美術館の芝生の上に置かれていた赤の 250GTOだ。
乗ってハンドルを握り、シフトに手を置く。
『若さ。当時のエンツォの若さだろうか。その溌剌とした感性を感じた。』
う〜ん、自分の25才の頃の感覚に似ている・・な、と、ふと(強引に)思った。
当時、
ポスターとテレフォンカードの制作のために数十台のフェラーリのコレクションの写真を撮っていた。

現実的に、当時、それは、まさしく、バブルの時だった・・・。
この当時の成り行きを色々知ってはいるが・・、直接わたしには関係なく、
個人的には、お金もなかった貧乏暮らし。
この美術館の最初のWebを制作したのはわたしだが、わたしは普通の立場の人で、
当時、職業は写真家で画家だった。(当時、残念ながら財力はなかった)
今も画家は続いている。そして、現在他にも仕事がある。
妻と一緒にオーディオケーブル制作をやっており、世界的に業界では注目されている。
その名前は・・・ELPISPANDORA

わたしは設計、妻が制作。
ワークのほとんどは妻が行っている。
もちろん、少し(5%〜15%)は手伝っている。